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常設展示

新潟県のあゆみ

古代・中世の文化・交流

古代、中世の文化史的なことがらを中心に様々なテーマを取り上げます。

柿崎古墓

新潟県南西部、上越市柿崎区大字上直海字新保から、平安時代~江戸時代を中心とした遺跡が発見されました。これは新保(しんぼ)遺跡といわれています。この遺跡からは、多くの遺構・遺物等が見つかり、注目されています。 その遺跡の北西、丘陵頂部から、木炭槨木棺墓(もくたんかくもっかんぼ)といわれる特殊形態の古墓が検出され、柿崎古墓と名付けられました。これは九世紀後半に作られたものと考えられています。木炭槨木棺墓とは、長方形の土壙の中央に木棺を置いて、それをさらに槨で囲うものです。こうした事例を文献に求めると、嵯峨上皇の葬送の例 にも類似するようです。畿内の皇族・貴族層においては、九世紀半ばあたりから、薄葬(はくそう)を基調とする土・火葬が混在するようになるといわれていますが、そうした時期に見られる形態です。

つまり、この古墓はその早い時期の事例として注目することができるでしょう。2002年9月9日より、この実物を、新潟県立歴 史博物館で展示しています。

古墓全体の大きさは、長さ3.4m、幅2.4m、深さ0.6m。木炭槨は長さ2.4m、幅1.3m、深さ0.3m。木棺の規模は外寸で168×48cmと 推定されます。材の厚さは3~4cmと推定されるので、内寸は162×42cm程度と考えられます。古墓の床には木炭が敷きつめられていました。

木炭部の4隅に置かれた壺は棺(ひつぎ)が納められた空間と外界を区切る、一種の結界と考えられます。


柿崎古墳横から柿崎古墳正面


古代の文化

地理書『山海経』古代の人々は字を練習し、絵を描き、身だしなみを調え、調度品をそろえました。それは、都だけのことではなく、越後・佐渡でも同様でした。 1997年、長岡市下ノ西遺跡から、奇妙な絵を描いた板が発見されました。最初は、絞首刑や体の自由を奪う刑罰を描いたものか、といわれましたが、最近の研究によって、中国古代の地理書『山海経』の一節を絵画化したものということがわかってきました。これは、地方役人の教養を示すものといえます。展示品は復元模型