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常設展示

米づくり

新潟県を全国一の米どころに育てたのは、江戸時代に始まる幾多の先人たちの、新田開発という努力でした。当時の新潟県の平野部には、広大な低湿地が広がっていました。多くの人々が、劣悪な環境の中で水と闘いながら米づくりを行い、さらには、その環境さえも改善する努力をしてきました。この展示室では、新田開発への人々の努力や米づくりの道具、人々の生活と米づくりの関わりなどを紹介します。

西蒲原三潟水抜工事

江戸時代、河川の下を新川が通るという工事の様子をジオラマで復元しています(開発の始まり・新川の誕生の資料をご覧いただくことができます)。

西蒲原三潟水抜工事
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米どころ新潟の誕生

江戸時代以降の灌漑用水工事や低湿地の干拓など、新田開発の様子を紹介します。

米どころ新潟の誕生米どころ新潟の誕生 全体像
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米づくりの1年と祈り

人々は米づくりを単なる作業としてではなく、作業の折目・節目に、稲の成長と豊作を祈り、感謝の祝いを行いました。特に、予祝(よしゅく)・播種(はしゅ)・田植・成育・収穫の段階での祝いが重要でした。

米づくりの1年と祈り
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描かれた農耕

絵画として描かれた農耕の様子を紹介します。展示替えにより資料が変わります。

描かれた農耕
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よりよい米づくりをめざして

稲は、常に改良が加えられながら栽培されてきた作物の一つです。特に稲作に不向きな土地では、冷害・旱魃(かんばつ)などの年には、大きな被害を受けるため、強く、また収穫の多い品種の改良に力が注がれてきました。

よりよい米づくりをめざして
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深田での農作業

かつて新潟県では蒲原平野を中心に潟と呼ばれる沼地が点在しており、その周辺には深田・泥田などと呼ばれる湿田が広がっていました。

深田での農作業農作業の風景_ミニチュアモデル
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