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常設展示

米づくり

描かれた農耕

絵画として描かれた農耕の様子を紹介します。展示替えにより資料が変わります。(以下は主な展示資料です)

「農耕欄間絵」

「農耕欄間絵」

上越市浦川原区の旧家に、杉板製3面の欄間絵(らんまえ)があります。第1面は田の耕起(こうき)、馬による代掻(しろかき)、播種(はしゅ)、「大願九竜頭大権現」「奉大願岩清水八幡大武神氏子中」と書かれた幟(のぼり)を持つ子ども、苗取、田植、草取など、第2面は稲刈、脱穀、籾摺(もみすり)などの農作業、第3面は米の調整・計量、俵詰、蔵入など年間の稲作の主だった作業が描かれています。3面の農耕欄間絵には、男性26人、女性7人、子ども3人、馬1頭と風呂鍬・馬鍬・鳴子・鎌・千歯扱(せんばこき)・唐竿(からさお)・臼・唐箕(とうみ)・箕・千石通し・斗枡(とます)・米俵などの民具が描かれています。絵師名は記載がなく不明ですが、ムラの鎮守と関わりなく「岩清水八幡」「九頭竜大権現」の2社名がみられるので、畿内出身者かまたは畿内から越後へきた旅の絵師であったと考えることができます。


「四季耕作図屏風」(六曲一双・紙本墨画淡彩)

雲谷等與(1612~68)筆 各172.0×379.0cm
雪舟末孫雲谷等與筆(右隻)
雪舟五代雲谷等與筆(左隻)
「うん谷」(白文瓢箪印)「等與」(白文方印)
四季耕作図の源流は中国の「耕織図」に求められます。耕織図とは、一年間における稲作と 養蚕・機織の作業工程を描いた作品です。中国では「耕」は男性、「織」は女性の仕事とされていました。この耕織図は楼しょく(南宋、於濳県[現浙江省臨安県]令)が紹興初年(1130年代)に描いた作品に由来しました。雲谷派は、絶えていた雪舟流を受け継ぐ、雲谷等顔を祖とする画派で、長谷川等伯と雪舟流の正系を争ったと伝えます。等與は雪舟三代を名乗る等顔の孫にあたります。

右隻から見ていきます。第二扇は浸種(種籾浸し)、第三扇は昼飯運び・苗代の籾蒔、苗取・苗運び、第四扇は平枠馬鍬(中国独特の民具で耙という) による代掻き・田植・龍骨車による灌漑、第五扇は犂と鍬による耕起が描かれています。左隻には、第一・二扇に稲刈、第三扇は稲束運び、第四扇には唐竿による脱穀や選別、第五扇は脱穀や選別が描かれています。登場人物は計61人です。この作品は、伝梁楷筆「耕織図巻」・宗宗魯筆「耕織図」を粉本(下絵・種本)としながらも、出所不明の場面も多く見られます。また、犂は山陰地方の犂と近似していますので、スケッチも取りこんでいると考えられます。以上のことから、一部を除き中国の農耕風俗・民具を描いていますので、中国との農耕の相違を考える農業技術史資料として、また、雲谷派という美術史上重要な位置を占める貴重な資料です。


「四季耕作図絵馬」

描かれた農耕 「四季耕作図絵馬」当時、庄屋であった小林清右衛門が奉納した絵馬です。大きさは98.5×180.2cmで、杉材に描かれています。記銘・記年銘は「獻額 適士園松風[印][印] 時〔異体字〕 天保拾庚子((ママ))歳 三月廿七日 當所 小林清右衛門 敬白」とありますが、1839(天保10)年の干支は「己亥」、天保11年の干支が「庚子」で、年号と干支があっていな い所に疑問が残ります。

図柄は、絵馬の上半分に浸種から苗取を右から左へ描き、下半分に田植から入倉までを同じく右から左へと描いています。このような構図は、ちょうど四季耕作図屏風の右隻と左隻を、一面の上下に分けて描いた構図と同じです。絵師の適士園松風及び奉納者の小林清右衛門の詳細は不明です。

描かれている農作業は、浸種・種籾干し・播種・鳥追い・耕起・代掻・苗取・弁当運び・田植・草取・稲刈・稲束運び・脱穀・籾摺・風選・計量・俵詰・入倉の 各場面です。耕起・代掻では、犂を牛に曳かせている所と、馬鍬を牛に曳かせている場面と並んで描かれていますが、本来は耕起と代掻は別々の図として描くべきでしょう。登場人物は男性24人・女性27人・子ども2人が描かれています。また、動物は牛3頭、・鴨2羽・雀2羽です。

民具としては、籾俵・筵・案山子(かかし)・鳴子・苗籠・天秤棒・扱箸(こきばし)・唐竿・土(摺)臼・箕・斗桶などが、さまざまな色とりどりの野良着を着た農夫・農婦とともに描かれています。