江戸幕府の財政の一翼を支えていた佐渡金銀山を紹介します。また、越後・佐渡で誕生した多彩な産物についても紹介します。
江戸幕府の財政を支えていた佐渡の金銀。幕府へ納められる佐渡の「御金荷(おかねに)」は、おもに北国街道で江戸に運ばれました。相川を出発した金銀は、海路出雲崎へ運ばれ、さらに、宿場から宿場へと馬で継がれていきました。出雲崎から江戸城まで、11日の行程でした。山から江戸へ-「御金荷」の道
江戸時代後期に作られた「越後産物くらべ」は相撲の番付表に見立てて、越後各地に生まれた特産物を紹介しています。佐渡でも独特の産物が誕生しました。
全ての引き出しに特産物が入っているよ。開けてみよう!! |
小千谷縮(おぢやちぢみ)は、江戸時代から 脈々と技術を伝え、現代に技を受け継ぐ人たちのつくりだす伝統工芸品の一つです。小千谷市を中心に織られている小千谷縮は、越後麻布の緯糸(よこいと)に撚りをかけて織り、シボ(細かい波状のしわ)のある風合いを出そうとしたのが始まりといわれています。端午の節句の江戸登城の際に、諸大名は小千谷縮の麻裃を着用するよう定められたりと、江戸時代には風通しの良い夏の衣料として、武家から庶民まで親しまれました。伝統的な技法は、ユネスコの無形文化遺産に登録され、指定された技術者によって今もなお伝えられています。