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常設展示

新潟県のあゆみ

新潟のあけぼの

大きな時の流れの始まりです。新潟県の旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代を紹介します。

移動生活から定住生活へ

人類の歴史は、アフリカに現れた人類が、世界中に拡散していった過程です。「新潟のあけぼの」は、そうした人類の歴史の一部です。約500万年前にさかのぼる人類の歴史のうち、499万年以上には文字で記録されたものはありませんでした。大地に埋もれた化石骨、道具や施設の痕跡を、人類学や考古学、生物学、化学、物理学などを用いて読み解いてきたのです。


人類は、化石骨の形質的な特徴から、猿人、原人、旧人、新人の順に進化したと考えられています。遅くとも旧人の頃には日本列島に人類は到達していたようです。最初、人類は打ち割った石で作った道具を使っていました。この時代のことを旧石器時代といいます。その中で新人が打製石器を使って生活していた頃は、非常に寒く氷河期と呼ばれています。

彼らは食料となる動物や植物を追い求めて、移動する生活をしていました。氷河期が終わり、温暖な気候となる1万数千年前頃、世界各地で、人類の生活に大きな変化がありました。


移動生活から定住生活へ進化の過程


日本列島では縄文時代の始まりです。

小動物を射止めるのに適した飛び道具である弓矢が登場し、植物のアク抜きに効果的な煮炊きを繰り返し行える土器も登場しました。その結果、特定の場所に住みながら、多種多様な動物や植物を利用できるようになったのです。最初、住まいに手ごろな自然の洞窟を利用しましたが、森を切り開き、しだいに地面を掘って作る竪穴住居(たてあなじゅうきょ)が普及して、定住生活は本格化しました。


縄文時代、人類は自然に生かされながら、特定の場所に人工的な空間を作り、そこを根拠に広い地域と関わりを持つようになりました。

農耕社会の成立と権力の集中

いまから2千数百年前、大陸から、日本列島に稲作農耕が波及しました。水田を作る弥生時代の始まりです。それは、特定の生産物に集中的な労力を投下することを良しとする価値観をもった農耕社会が成立したことを意味します。すでに稲作農耕の普及していた大陸では、そこから国家が生まれ、権力が集中する仕組みができあがっていました。そして、国家間の争いである戦争が繰り広げられていたのです。


農耕で使用された道具


日本列島への稲作農耕の波及は、そうした大陸の事情と無関係ではありません。日本列島における農耕社会の成立と権力の集中は、最初、西日本で始まりました。そして、現在の新潟県を含む東日本では、西日本で成立した農耕社会から稲作農耕が波及し、農耕社会が成立していくようです。そのため、弥生時代の新潟県には、縄文時代の伝統を色濃く残した土器もあります。しかし、その一方で西日本に始まった権力の集中を支えるように、佐渡では管玉(くだたま)作りが盛んに行われています。また、西日本同様に高地性集落と呼ばれる争乱に備えた遺跡が見られます。そして、西日本にそれほど遅れることなく、権力の集中を物語る古墳が出現します。古墳時代の始まりです。

ただ同時に、新潟県では縄文時代以来の北日本との関係も続き、弥生~古墳時代ではなく続縄文時代と呼んでいる稲作農耕をしていない地域の土器が発見されていて、注目されます。