新潟県を全国一の米どころに育てたのは、江戸時代に始まる幾多の先人たちの、新田開発という努力でした。当時の新潟県の平野部には、広大な低湿地が広がっていました。多くの人々が、劣悪な環境の中で水と闘いながら米づくりを行い、さらには、その環境さえも改善する努力をしてきました。この展示室では、新田開発への人々の努力や米づくりの道具、人々の生活と米づくりの関わりなどを紹介します。
人々は米づくりを単なる作業としてではなく、作業の折目・節目に、稲の成長と豊作を祈り、感謝の祝いを行いました。特に、予祝(よしゅく)・播種(はしゅ)・田植・成育・収穫の段階での祝いが重要でした。
稲は、常に改良が加えられながら栽培されてきた作物の一つです。特に稲作に不向きな土地では、冷害・旱魃(かんばつ)などの年には、大きな被害を受けるため、強く、また収穫の多い品種の改良に力が注がれてきました。